2013年4月9日火曜日

昔、中学校くらいの算数(数学??)で
 命題「AならばB」が成り立っても、その裏の「AでないならBではない」が、
成り立つとは限らないと習った。

こういう一種の非対称の様な事は日常の会話でもたまに出てくる。

この前娘(小学1年生)と話していたときに、
「テレビを見たかったら先に宿題をやりなさい」
と言ったら、
「テレビを見なくても良いから宿題もやらない」
と言い返してきた。

ここで気がついたのは
「テレビを見なかったからといって、宿題をやらなくても良い事にならない」
「テレビを見る、見ないに関わらず、宿題はやらなくてはならない」
という事で、テレビを見る事は宿題の条件にはなっていないと言う事。
(そういう意味では必要条件とか十分条件とかの方が例にあっている??)

それでは「テレビを見る」と言う事と「宿題をやる」と言う事をどうして結びつけて話したのだろうか?

これは、
「なんにせよ宿題はやらなくてはならないのだけれど、どうせなら終わった後に楽しいことがあると思って行った方が、多少はやる気が出るだろう」
というモチベーションを高めるための一つの手段だと考えることが出来る。
手段と目的を混同しないことがポイントである。

娘がもっと大きくなった時には、自分をコントロールするために自分で色々と
工夫してモチベーションを高められるようになって欲しいと思う。
41歳になった自分でも未だに上手く出来てはいないが。

人も動物なので短期的な目先の欲求に動かされてしまうのは本能的な自然な事に思える。
ただ、人は動物よりも長期的な目的を持つことも出来る。
長期的な目的を達成するためには充分小さな短期的な目的に分解して、
短期的な目的を目先の欲求に合わせ込んで、モチベーションをコントロール出来れば
良いのかもしれない。


同じような話では、
「悪い事をすると罰を受けねばならない」
と言う状況でも、
「罰を受けても良いと思っても、悪い事をして良い事にはならない」
という事もあるが、これはまた別の機会に。

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