2013年8月31日土曜日

矛盾を受け入れると言う事

自然災害が多くて自分の力の及ばない事が多かった日本人に高い能力?
論理的であるのと同時に矛盾を受け入れる事も出来れば非常に良い?
単に矛盾に気が付かないのではなくて、認識した上で受け入れる。
論理的であるほど重要な能力? 論理的であるのと同じくらい重要?
宗教とも通じる部分あり?

矛盾と理不尽は似ている。
理不尽はストレス。
そのストレスを処理するために矛盾を受け入れる能力が必要。
論理的であるとそのストレスを感じやすい。
なので受け入れる能力も高い必要がある。

論理的に辻褄が合わない状況にあたっときにストレスを感じる。
その時に「矛盾を受け入れると言うのも重要な能力」と考え、それでストレスを上手く処理出来た場合は、「自分は論理的な思考を持ちながら矛盾を受け入れられる高い能力を持っている」と思う事にして、その能力を強化してきた。

これがさらに「ある仮定の下で矛盾なく論理を展開する」と言う能力を高める。
「仮定」自体が何かと矛盾していたとしても、それを一先ずは置いておいて(その矛盾を受け入れて)、仮定の下での議論に集中出来る。
これが出来ないと仮定が気になって論理の展開に集中できない。

そう考えると「論理的である事」と「矛盾を受け入れる事」は表裏一体の能力かも?


どんな仮定であっても、単なる仮定として一旦受け止めて、その前提で冷静に論理を展開すると言うのは自分の得意な事だと思う。

少し前まではどんな仮定(状況)を定めても冷静に考えられると思っていたが、
最近になってそれが無理な場合がある事に気が付いた。
子供に大きな不幸が訪れた状況については、考えようとするとストレスが大きすぎて冷静になれない。上手く想像する事が出来ない。直視する事が出来ない。
これにどう対処すべきなのかはまだ分からないが、「想像する事さえ辛くて考える事が出来ない」と言う事がある事を認識できたのは、自分の成長の一つと考えてはいる。

これまでも「想像する事さえ辛くて考える事が出来ない」と言う事はあったと思うが、そのこと自体を上手く認識出来ていなかった様な気がする。たまにしかなかったからかな?

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